有難うの美徳について

「有難う」の美徳

日本語の素晴らしさは見ているだけでその言葉の奥深くまで読み解けるということです。

この「有難う」という言葉は奥が深いです。

難が有るのです。

不思議に思ったことはありませんでしたか?

難と聞くと嫌だぁ〜と思ってしまいますよね。

避けたいところです。

誰しもがそんな経験いらないよぉ〜と思いますよね。

2つの読み解きができます。

有ることは難しい。

難しいので有ることに感謝が出来る。

難が有る。

難が有るからこそありがたみがわかる。

なので有難うなのです。

難に感謝ができた時に

有難うの美徳が体得できたと言えますね。

シータヒーリングを学んで

徳を習得中の身の上としては

難に感謝をするには、そこから何を学んだ?

と問いかけてしまいます。

その難は自分の潜在意識が

改良点を教えてくれているので、

数秒で、あるいは数時間で

難から教えてもらいます。

何を示しているの?

何が必要なの?

なぜこうなったの?

この教訓は何?

難は自分の潜在意識の反映でしかないからです。

ならばどうやったら、あるいは何を足していけば

変えられるのかしら?

と問いかけは習慣づけられています。

難から(自分の反映)から学び取った時には

本当に難に感謝できるようになりますよ。

人を恨まず、己を恨まず、世を恨まず、

己の損とか得とか計算ばかりせず、人を羨まず、

全てが己の反映であれば

人に感謝し、己に感謝し、世に感謝し、

世の為のことを考え、人も己もリスペクトして

生きてみませんか?

それらの行為は己に帰ってきます。

あなたの魂が満ち溢れて

今世で得た徳は死んでも持って帰れます。

 

ではどうやって難に対処するのでしょう

 

難を理解して学んで超えた時に習得済みになります。

この3層に生きている限り2極性はついて回ります。

何か徳を習得する時には多くの場合逆も学びます。

徳の対局にある不徳から学んでいたりします。

なぜなら私たちは遺伝的に有り難みや感謝の念を持つのにわざわざ不徳を試してみて有難いということを学んでいたりします。

例えば優しさを学ぶのに不親切や厳しさを体験してから優しさが身に沁みる経験をしたりします。

そして優しいというのは有難いのだと体験により体感します。そうすると人にも自分にも優しくあろうと身体で習得できます。

体感を経て優しさを習得した時に初めて徳が身につくのです。

DNAが徳を習得した時に魂に刻まれます。この3層でいついかなる時もそうであるという体得を通して魂に刻まれて5層にこの徳の体験を持って帰れます。

それをこの3層まできてやろうとしているのがハイヤーセルフです。

ハイヤーセルフは美徳の積み重ねの体験をすることに夢中です。

今世でいくつかの美徳を体得しようとしています。この体験は3層でしかできないことなのでしょう。時間という制限の中でやりきろうとしています。

通り過ぎていく難に対して「有難う」と心から思うことができた時あなたはその学びや美徳を習得したことになるでしょう。

そしてその美徳が魂に刻まれた時にマスターに近づいていきます。